加速感

ここ数日何人かの人と同時にチャット状態でやり取りをすることが続いた。

快適なスピードでテンポよく展開する対話の中で、おもしろいアイデアやイメージがぽんぽんと生まれて形になっていくのが楽しい。ふとした思いつきがみるみる現実になっていきそうな勢い。

本気で遊ぶのはとかく愉快だ。

個から世界は変わる

外側の世界に起きていること、現実として見えていることはすべて、私たちの内面を映し出しているということがわかる人との話ははやい。

そういう人は、他者に期待することなく、自らが変化し、移動し、行動している。誰かや何かを批判し憂うのではなく、自分自身が変化の源として生きている。

大小問わず他者を変えようと闘う人は、実際には自分の内面に生じている抑圧や捻れから目を背けていることが多い。そうして内側の憤りを外側に対する怒りに転化し、時に共感や連帯を求める。

しかし、本当に外側の現実を変えたければ、自分の内側にある事実に気づいて取り組む必要がある。

外側に対する自分の反応は、自分の内側の状態に気づくきっかけになる。内側の抑圧や捻れは認識するだけで自然に解ける。そして、そこには正直な感覚や思いが潜んでいる。それに気づいたら、自分にOKを出して自ら行動することによって、自分自身が変化そのものとなり、それは現実に反映されていく。

世界が変わる(変える)というのは、私が変わるということ。個の意識と行動がそのまま世界(現実)という反映として現れている。外側と内側はいつも同時に起きている。

気づいた人、わかっている人は、他の人のことは気にせずにさっさと自らを変化の源として、自分に専念して生きていくだけでいい。結局のところ、それが最もはやい。

ある人の夢

昨夜は久しぶりに大きなアメジストを握って眠った。そして、感触がリアルな夢をいくつも見て、そのたびに目が覚めた。

最初に見た夢の中では、現像したフィルムの中にいくつか撮影した覚えのないものがあり、何が起きたのだろうと不思議に思っていた。写っていたのはかなりぼやけた景色だった。

スタジオのような空間で美輪明宏さんと一緒にいる夢も見た。周囲にはスタッフらしき人たちもいて、テレビか何かの収録のようだった。私と美輪さんは人々の言動を観察しながら意見を交わし合い、ある人(実際に私が知っている人)の視点や姿勢を賞賛していた。

古代の遺跡だという場所を歩いている夢も見た。夢の中ではそこはブルガリアということになっていた。ごつごつとした岩に覆われた山の斜面のところどころに遺跡らしい石造りの建物の名残があり、私はその中を歩いて斜面を下り、麓にある村にたどり着いて、さらにどこかへ向かおうとしていた。

ある人と現在のビジネス状況や世界の動向について確認しあい、「これ、ぜひ読んでおいて」と冊子のようなものを渡されるという夢も見た。夢の中でオレンジ色の冊子を受け取った時、もしかしたら私は実際に起き上がって動いていたかもしれない。かなりリアルな感触の伴う夢で、現実との境目が曖昧だった。

さらに、一度起きてパートナーと少し言葉を交わした後、微睡みの中でまた夢を見た。ある人が「今はちょうど地軸が1度ズレている最中だから体調や体感に現れるかもしれない」と言っていた。まるでその人が実際に寝室に現れたかのような不思議な実感のある夢だった。

Reflection

自分の外側に見ている現実は、それが何であれすべて自分の内側の状態をそのまま映している。

しかし、私たちは自分の内側をすべて認識できている訳ではないので、予想外の現実に驚いたり、時に受け入れ難さを感じたりする。

認識していようがいまいが、思いはすべて既に目の前に実現している。自分の内側はいつもリアルタイムで現実に映し出されている。 「思い通り」とはそういうことであって、我によってコントロールするものではない。

感情と思考と行動が一致している時、目の前の現実はまさに思い通りであるということがすんなりと腑に落ちる。

逆に言えば、目の前の現実に対する自分の反応からは、自分がどれだけ自らの内側を認識しているかが見えてくるし、感情と思考と行動の状態もはかることができる。

現実が受け入れ難い時とは、気づかぬまま漏れだしている自分の思いに自ら拒絶反応を示している状態とも言える。

認識できていない(または歪んで認識している)抑圧された自分の内側が目の前の現実として現れていることを知れば、働きかけるべきは外側ではなく内側だということがわかる。

めぐりがいい

正直で素直なのが何事においても最もスムーズではやいということをますます実感している。つまりそれは感覚と思いと行動の一致。無邪気でシンプル。だから、内も外も循環がいい。

空も天気も意識を映す

このところ風の強い日が続いている。ちょっと晴れたかと思えば、いきなり雨や雪が降ったりやんだり。

天気は意識(内面の動き)にシンクロしているとよく思う。

「意識によって雲を消したり動かしたりできる」と以前に何かで読んだことがある。私の体感としては、それは念力じみたものではなく、もっと力の抜けた自然な呼応が現象化している感じがする。

雲を睨んで「動け、動け」と念じるのではない。空を通して見える自分の意識の状態と動きを観察し、一切の抵抗をやめてその流れに委ねていると、空の様子がシンクロしていく。

田口ランディさんが著書の中で「アイヌのシャーマン、アシリ・レラさんが祈りを捧げる時には、それまでどんなに曇っていても必ず晴れ間が現れる」というようなことを書かれていたのを思い出す。

天気もまたそういうものだ。
内と外の共振。

自立とは自分の内側の世話ができること

以前にも書いたけれど、他者の言動と、それに対する自分の反応はまったく別のものだ。

感情も感覚も自分の内側からやってくるもの。
誰かや何かはきっかけに過ぎない。

他者がどうであれ、自分がどう感じているかをていねいに認めていけばいい。

そうしてきちんと自分の世話をしていれば、自分の中にどんな反応が起きたとしても受け入れられるし、その度に不要な思考の殻を脱いでいける。

究極的に言えば、意識を注いで働きかける必要があるのは、誰かの言動や反応ではなくて、自分自身の反応、感情、感覚だけなんだよね。

自立とはそういうことなのではないか。

それができていれば、自分と他者との境界は明らかだし、自分も他者も同等に尊重できる。自分の内側にいつも充分に意識を注いで専念していれば、それは自然と外側へ反映される。

実際のところ、自分の中で起きていることに専念していると、他者の言動や反応を気にしている暇はなくなる。

お金も思いも感情も流れて循環しているもの

「お金持ち」という言葉があるけれど、何かを持っている・所有しているという概念は、自他の分離に基づいているのだなと改めて気づいた。

実際には、お金も感情も思いも「流れている」「循環している」というのがふさわしいので「お金持ち」という概念はやがて消えていくかもしれない。

本当は、お金を「持っている人」ではなく「流れがいい人、循環がいい人」だ。そのことが、ますます目に見えてわかりやすくなっていくのではないかと思う。

「お金」という言葉を他のものに入れ替えても同じこと。
さまざまな形に変化しながら流れて循環している何か。
それは、エネルギーともいえる。

Thinking about Antarctica

このところ南極への憧れが高まっている

南米最南端の町アルゼンチンのウシュアイアから南極大陸へと向かうクルーズ船の料金は思っていたほど高額ではなくて「あ、それぐらいならなんとかなるな」と思えた。

もちろん、実査にはクルーズ費用だけではなく、ウシュアイアまでの航空券や現地での宿泊費用も必要だし、南極の環境に対応した装備も必要ではある。しかし、それらを加算してもやはり「なんとかなる」と思える金額だ。

私がまず訪れたいのは南極のウェッデル海側。思いのほか近いうちに実現できる気がしてきた。想像が一気に具体的になって密かにワクワクしている。

南極大陸に関する情報を調べている際にふと「南極で働けるのかな」と思い検索してみたところ、多様な職種の人材募集があって驚いた。医師、看護師、消防士、エンジニア、調理師、大工、修理工等からコーディネーターや総務までとかなり幅広い。

しかし、南極での仕事はほぼすべてが各国の南極観測基地内での任務なので、残念ながらそれぞれの国の国籍所有者でなければ応募できない。日本人であれば国立極地研究所の南極地域観測隊の募集に応募するしかないということだ。

南極で唯一国籍に関係なく応募できるのはポート・ロックロイ(Port Lockroy)という小さな博物館での仕事。1962年以降は放置されていたという元は英国の通信基地だったこの建物は、1996年に修復されて、現在はUK Antarctic Heritage Trustによって運営されている。

写真家ポール・ニックレンのメッセージ

南極や北極周辺の野生動物の貴重な姿をとらえた写真で知られる写真家ポール・ニックレン(Paul Nicklen)のTEDトークを観た。

彼が南極の海で出逢ったヒョウアザラシとのエピソードはまるでおとぎ話のようだ。彼自身も語りながら涙をこぼしそうになっているけれど、彼の話を聞いて私も泣きそうになった。凶暴な捕食者として悪者のように語られるヒョウアザラシだが、それはメディアによって作られたイメージだと彼は言う。

彼は写真を通して地球の神話を語る存在なのだと思う。

『Animal tales from icy wonderlands (Paul Nicklen | TED2011) 』
(動画は日本語字幕付き)