自分自身が変化そのものになればいい

「けしからん、ゆるせない、問題である」と思う何事かに出くわした時には、物理的にも精神的にもそれに関わる必要のない位置へと移行(変化)するのが最も有効な解決策となる。

問題がある(ように見える)状況や環境は、他の誰かが作り出しているのではなく、自分自身もまたその状況や環境を作り支えている一人であることにまず気づくことだ。

そうすれば、自らが変化し、移動し、行動する=その状況や環境を支えるのを辞めることが、実は最も有効な解決策だということが分かる。

社会や世界を変えたければ、あなた自身が求める変化そのものになりなさい、と言われるのはそういうこと。

たとえば、経営方法や雇用環境に問題がある会社に勤めている場合、それらを変えようとして闘っても、そこに留まる限りは、その状態を支える一員であることに変わりはない。

変化そのものになるというのは、その会社を辞めて、他の働き方や仕事を作る(見つける)ために行動するということ。

理不尽に思える誰かとの関係も、疑問に感じる社会システムも、すべて同じだ。

その状態を支えるのを辞める=その関係から抜け出すことは、最も有効な解決策となる。そうして、自分が変化そのものになる。

 

大切な自分のエネルギーは、批判や否定や闘いに用いるより、自分自身がより快適でいるために使う方がいい。自分自身が快適であれば、そこから快適な循環が起きていく。

感情も、思いも、言葉も、行為も、働きも、時間も、もちろん金銭を含むあらゆる資産も、すべてエネルギー。究極的には、自分を通って流れる命をどのように活かすかということ。

20年近く前の前世

唐突に、20年近く前に関わりのあった人が夢に出てきた。

夢の中のディテールは現実とは少し違っていたけれど、当時私が身を置いていた環境の中で短い夢は展開した。そして、その奇妙で無理のあるに状況に不快感を覚えて目が覚めた。

当時の私が見て、感じて、考えていたことを思い出してみたが、それらはまるで別の人の体験のようにすら感じられる。

あの頃の私は「私」という物語にあまりに囚われていて、何も見えていなかったのだと思う。自分のことも、他者や世界のことも、見たくなかったのだろう。

あの頃の私には、今の私の言葉は通じないかもしれない。
当時の私は、いったいどんなことを話していたのだろうか。

夢に出てきたのは、私が「私」を一度リセットする直前に関わっていた人と環境だった。

その後もさらに数回は人生をばっさりとリセットしてきたけれど、今こうして私がまるで別人のように生きていていることを、当時の私は果たして予見していたのだろうか。

贅沢とは心地よいこと

昔から、香りと靴と下着には少しの妥協もしたくないし、ちょっとでも違うと感じたものは買わないできた。どんなにデザインが魅力的でも、履き心地の良くない靴はストレスが大きいし、下着も香りまた同じだ。

素材がよくて、デザイン(配合)も着け心地も本当にいいと感じられるものだけを大切にしていく。

19歳で出会って以来約20年もの間、同じ香りを身につけていたのも、他に心底惚れ込む香りに出会わなかったからだ。

そして3年前、ある香りに出会って即座に魅了され、初めて香水を変えた。それ以来ずっと同じ香りを纏っている。かなり高価な香水だけれど、他を節約しても、これだけは手元に置いていくつもりだ。

香りも、下着も、靴も、他者にアピールするためではなくて、自分自身が本当に快適に感じて満たされるためのもの。だからこれらは真の贅沢だ。

優雅な心地でいるためのものという意味では、夢と同じ。

身軽に、愉快に、今を生きる

2015年に物理的にも精神的にも徹底的に断捨離し、仕事もすべて辞めて何にもない自分になってからの劇的な変化を体験してからというもの、「これまで」という蓄積や手元にあるものへの執着がなくなった。

むしろ終わったことや不要はどんどん手放して、なるべく身軽に、常に新たに変化していく方がいい。

パートナーを含め、私の身の周りにいるのも同じような感覚の人たちだ。みな自分の身ひとつで、場や関係にとらわれることなく、常に変化しながらそれぞれの能力を活かして軽やかに生きている。

貯めない(溜めない)こと、持たない(握らない)ことによる軽やかさとスピードは、意識と習慣によって体得できる。

結局それは、「今」に専念するということでもある。過去ではなく、未来でもなく、「今」の自分の能力と資質を惜しみなく表現(提供)することによって、その時々に発生する循環を生きていく。

奢るでもなく、卑下するでもなく、等身大の「今」の「私」を正直に生きること。

しないことを徹底すること

やりたいことは、わざわざ探したり決めたりしなくても知らぬうちにやっているものだ。

むしろ、しないことやしたくないことを、しないと決めて徹底する。そうすれば、自然にしたいことだけをしている状態になる。

実は飽きていたり不要だったりするものを辞めれば、見えていなかったこと(自分)がはっきりしてくる。

存在の輪郭がはっきりしている人

私の感覚では、自分をしっかりと引き受けて、自分で自分を満たし、いつでも自分を生きている人、すなわちいつでも「今=命」に専念できている人は、その存在の輪郭がはっきりしている。

まなざし、顔つき、姿勢、佇まい、声、言葉、行動、すべてにそれは現れている。

そして、そういう存在は活き活きとして、清々しい。その姿を見ているだけで良い気分になる。そうして、私もそのように生きようと思わせてくれる。

ある友人との対話の中で、「あなたはますます輪郭がはっきりしてきたね」と伝えたところ、「どんな風に見える?」と問われたのでイメージを言葉にしてみた。私のイメージの中の彼女は、天地に真っ直ぐ堂々として立ちながら、右手をすっと天に掲げて「これが私」と穏やかに微笑んでいた。

伝えた後にはっと気づいたのは、それが、釈迦が生まれてすぐに言ったという「天上天下唯我独尊」の姿勢と同じだということ。思わず笑ってしまったけれど、仏教が好きな彼女にふさわしいイメージだったかもしれない。

自己という思いや煩いに執着せず、腹を括って「命=今」を生きる人の姿は、その輪郭がはっきりとして見えるのだろう。そういう人には迷いがなく、「今」に自らを惜しみなく捧げては、いつでも「今」を愉しんでいる。

一連のやりとりの中でそう思った。

時は命そのもの

ある対話の中で相方が言った 「Time is the most precious thing」 という言葉に、時こそは命だと改めて思う。

そして、その「時」というのはいつでも「今」のこと。
命とは、今この時。

Resonation

それぞれに流れる命を、それぞれに活かして生きていて、てんでばらばらのようでありながら、「生きている」というところで軽やかに、深く、豊かに共鳴している。

自分自身を命に捧げて、いつも今ここに専念する人たち。
彼らとのやりとりは、言葉も言葉にならない共鳴も愉快だ。

夏至の日に

夏至は太陽の力が最も強い日。
私たちの内側にある太陽が最も強く現れやすい日。

真夏の太陽の下で、自分の中の太陽が示す今とこれからを確認できた気がするよ。

プラハの蟹座エリアへ

ぴったり夏至のタイミングに双子座エリアから蟹座エリアへと移動した。

プラハ・ゾディアックによると、蟹座0度のラインはプラハ城の真上を横切っている。しかし、大混雑しているプラハ城へは向かわずに、Nový Svět=New Worldと呼ばれる地域へ。

小さな古い家が建ち並ぶ小路は人の気配も少なく、ときおり静かに風が吹き抜けていく。

 

Nový Světにも素敵なカフェがある。この季節は、緑に囲まれたテラス席が特に居心地がいい。

 

貸し切り状態の静かなテーブルで、私との往復書簡を出版したいと言ってくださった方への一通目となる手紙を書いた。

 

思いのままに歩いては、行く先々でさまざまな人と短いながらも心地よい言葉を交わした。また、親しい人たちからの嬉しい報告も重なった。

 

すっかり真夏の勢いとなった太陽の下で、気分よく夏至を迎えられた一日。