何者でもないという安らぎ

私たちにはいつも様々な立場や肩書きがついてまわるし、気づけば何かしらの役割を担っている。そういった「関係の中にある私」は、時と場によって常に移り変わる。

しかし、その根底にある「何者でもないただの此(私)」は、いくつになろうと、どこで何をしていようと、変わることはない。

常に移り変わる立場や役割などの「関係の中の私」が真の自分だと思い込んでいると、変化は時に自分を消滅させる恐ろしいものとして感じられるだろう。

しかし、その根底にある常に変わらぬ「何者でもない私」を知っていれば、どんな変化も受け入れて、何度でも生まれ変わることができるだろう。

何者でもないという根底に還ることは、私自身に還ることであり、命の流れに還ることでもある。それは、あらゆる物理的条件を超える無限の安らぎ。

“何者でもないという安らぎ” への2件の返信

  1. いつも生きるヒントをありがとうございます。若者が社会に出る前の不安定さを描いた「何者」という映画がありました。社会におけるアイデンティティを獲得することに必死なのは若者に限ったことではありません。自分はそこから完全に解放されたわけではありませんが、今は随分囚われなくなりました。それを余生と表現していたのですが、安心と引き換えに何かを諦めたり、枯れたりはしていませんでした。RYOKO369さんの文章を読んで、「何者でもなくていい」という魂のアイデンティティを少し実感できるようになったのかと気づきました。

  2. Ted28さん、清流のように心地よいコメントをいただきありがとうございます。私も「何者かにならなければ」と迷走する若者でした。アイデンティティとはどこかや未来にあるのではなく、今まさにここにある私の内側にあると気づいた時の驚きは雷に打たれたかのようでした。何者でもないという安心じゃ、いつでも、いつからでも、何にでもなれるという希望でもありますね。

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